新選組日記
最終回「愛しき友よ」
むかしむかし京都に新選組という男たちがおりました。近藤勇局長、土方歳三副長を先頭に京都の治安を守っておりました。会津藩のお抱えではありますが、根っからの侍たちではありません。しかし彼らは徳川の時代の終わりに、侍よりも侍やったんです。
総長には山南敬助先生、一番組の組長は沖田総司先生、二番組永倉新八組長、三番組斉藤一組長、六番組組長井上源三郎先生、八番組藤堂平助組長、そして原田佐之助先生は十番組組長。局長と副長のお二人を加えた江戸試衛館からのお仲間であるこの九人さんは、隊の中でも一段と結束が強いように見えました。
私ですか?はい、では私の話もさせて頂きます、喜んで。この山崎烝が新選組に入れていただいたのは、武田観柳斎先生と同じ日の面接でございました。八木邸の中庭で面接していただいたのが、土方副長、山南先生、井上先生の三人の皆さんでした。
いまになっておもえば、面接してもらった先生方には最後まで何かしらの関わりがありました。もちろん私の先生方への思いもあった、でも先生方にも親代わりという気持ちがあったのかも・・・それは私の勝手な気持ちでしょうか。壬生浪士組という時代があったと聞いてますが、私は新選組には途中参加のようなものです。四番組松原忠司組長、七番組の谷三十郎組長もおんなじ年に入りました、ああそうですわ、勘定方の河合耆三郎さんも同期のようなもんです。
監察として島田魁さんや尾形さん、浅野君たちと仕事をやり、旗持ちの尾関さんとも千両松の戦いまで共に働きました。若い隊士の大石鍬次郎や局長の息子周平さんも頑張っていたなぁ。いや、あかんわ。頑張っていたなぁなんて言えないですわ。私、監察と新選組の衛生面の仕事をやってただけですから。申し訳ない。
人のことはいいんです。自分に仕事があって、それを必要とする人達がいる。新選組での山崎烝は、それを確かめている毎日でした。
幕を引くようで悪いですが、私が過ごした新選組での愛しき友たちとの日々は、悔いもなく素晴らしいものでした。子どもの頃から楽観的で嫌なことはすぐに忘れてしまう性格なんで、楽しく充実していたことしか覚えてないのかもしれませんが...。
えっ?そんなに良かったかって?はい、それはもう。そしてそれはあっという間でした。ひととして充実する時間なんて、ほんのちょっとの間なのかもしれませんね。
初めて新選組の監察として仕事をもらったあの日、局長と副長がいる部屋の障子が私の目の前でゆっくり開いた時から、山崎烝が生きた日々が始まったのです。 バックナンバー
12月5日:第48回「流山」
大阪城へ帰るところまででこの日記もしばらく書いてませんでした。実言うと、江戸に帰る富士山丸の中で、私はどうしても新選組を離れなければならなかったんです。あのままみんなと江戸まで行きたかったんですよ、大阪生まれの私にしてみたら知らない土地ですから不安もありましたけど、やっぱり近藤局長や土方副長の下で仕事をしてみたかった。ほんまに残念です。
今は少し離れたところから新選組を見ています。ここまでくるのはちょっと時間がかかりまして、日記も書けずにおりました、申し訳ないです。 
なんだか新選組の旗色が悪くなってきています。あの「誠」の旗がある限り、私はこの隊は続くものだと思っていたのに、どうも違うようです。こないだ斉藤さんが旗を持ってくれたのが嬉しかったんですが、あれで気づきました。旗があってもダメなんだ、あの「誠」の旗に対して熱い思いをもっていなければ、強い組織にならないんや・・・ということを。 
慶応四年三月六日・甲州勝沼の戦い。局長の傍で仕事が出来ない、副長とともに菜葉隊を呼びにもいけない。そして、何に対しても「喜んで!」と返事が出来ない自分を歯がゆく感じてます。
11月21日:第46回「東へ」
この日記に今まで、いったい何人の者たちが亡くなったと書いたのやろか。今度の伏見や千両松の戦で、私たちはまた多くの仲間たちを失いました。
特に井上源三郎先生が亡くなったということを日記に書くのが、こんなに辛いなんて。あの方は、やっぱり私たちの支えやったんです。ほんとうに残念で、しかたありません。そして、それだけではなくて、私は新選組の山崎として仕事ができなかったのが、残念なんです。
近藤局長が篠原たちに襲われたとき、私が肩から弾を抜きました。抜きましたが結局、松本良順先生のいる大阪城へ行っていただくようにと、お願いするしか私には他に術がなかった。そして、井上先生が撃たれた後も、やはりただ首を横に振るだけでした。
新選組のお抱え医師だと、松本良順先生や局長の前で井上先生に励まされたのに・・・、私にはもっと何かできたんやないか。いや、やるべきやったんです。
局長と井上先生、二度も自ら手を引いてしまった。お抱え医師として失格です。悔しい。
だから、せめて大阪へ引き上げるまでは、探索方として新選組のために働こうと思っています。副長と斉藤さんと、まずは屯所まで戻ることになりましたんで。「はい副長、案内ですか・・・喜んで!」
街道は避けて、裏道を不動堂村まで向かいます。
11月14日:第45回「源さん、死す」
慶応4年1月5日 淀・千両松 今、井上源三郎先生と私、あと何人かの隊士たちと握り飯を握っています。
伏見の奉行所からこちらに引き上げてきた時は、もうほんとにばたばたしていましたが、井上先生がまずおっしゃったのが「山崎、飯を炊こう」と。「腹が減ってはいくさはできんよ」とおっしゃる先生の優しい顔は、奉行所で戦っていたときの顔とは別人のようです。
もちろん、会津の人たちの分も握っていますよ。「新選組も会津もないよ、とにかく皆の口に入るように」 先生の心遣いが、戦の最中なのにほっとする安心感を私たちに与えてくれています。
近藤局長が大阪城に治療に行っている中、土方副長も実は井上先生を頼りにされているようですから。
こんなとこでも他人のことを気遣える・・・井上源三郎先生のようなお方が、実は一番強い人間なんだろうなあ。
今週の「ニュース」吉弥のホームページの「新選組日記」も佳境に入ってきておりますが、ニュース見ました?パソコンを開けていると「新選組の隊士日記が新たに発見!」という共同通信のニュースが。
慶応元年に山崎が書いた「取調日記」が日野の博物館で見つかった!らしいんです。13日から公開ですって。
何か自分のことが報道されてるようで、ドキドキしてしまいました。

新選組隊士 山崎 丞(すすむ)「取調日記」の初公開
11月7日:第44回「局長襲撃」
慶応3年11月18日 また新選組にとっての大きな存在の人がいなくなってしまいました。藤堂平助。私はあまり平助さんとご一緒させていただけませんでしたが、残念です。伊東甲子太郎について御陵衛士に移っても、試衛館からの仲間だという思いは局長はじめ幹部のみなさんにあったようで、いつも気にかけておられましたから。 
今週の失礼しました   お気づきでしょうが、こないだの山崎は皆様の目に触れない所で仕事をしておりました、・・・やっぱり監察方ですんで。
徳川は、新選組はどうなるのでしょうか。『王政復古の大号令』が出されたらしいのですが、御所での話し合いには徳川慶喜公も容保公も呼ばれずに蚊帳の外。御所をはじめ京都の町は薩摩が押さえてしまっていますねん。 しかし近藤局長にはお考えがあるようです。
もちろん山崎は新選組についていきますよ。私は新選組で仕事をもらえたんです、いや、新選組で命をもらえたと言ってもいいかもしれない。
10月31日:第43回「決戦、油小路」
沖田さんのことでは孝庵先生からきつく言われました。もう、あいつは普通の体ではないんだから、と。お前さんは一緒におったのに、何をやっとんたんやというお言葉、こたえました。 
あの捨助という男は、私の前というか新選組の行くところに何故か出てくるんですよね。祇園の火事もあの男が原因やというし、伏見の寺田屋から出てきた坂本龍馬を大石鍬次郎たちと追ったときも、あの男が坂本の身代わりになっていた。今回局長からの仕事で龍馬を探すと、やはり私の前に捨助が。誰の味方で、いったい何を調べているのか?よう分かりませんが、なんかまたどこかで会いそうな気がします。いや、その捨助の前に平助さんが坂本龍馬といたのもびっくりしましたが。
伊東一派の動きが気になります。ちょっとまた東山の高台寺へ行ってきますわ。
今週の一言 私が道場で局長に耳打ちした言葉・・・、「坂本は近江屋です」
10月24日:第42回「龍馬暗殺」
また引越しです、不動堂村というところへ。前々から西本願寺のほうからは私ら一部の人間に屯所移転の相談があったのですが、副長に相談したところ、土方先生は首を縦には振りませんでした、「まあ待て、山崎」と。
そうする内、屯所の建築費から諸経費まで全てを西本願寺が出すという話が西村様より・・・やはり交渉ごとは副長に限りますわ。
今週の「褒められたい」やっと見つけましたお幸さんの実の妹「お孝さん」。そやけど、島田さんから周平さん、永倉先生、原田先生、井上先生まで協力して頂いた上の話ですからね、監察の仕事としては褒められたもんやないか。 しかし、ああやって皆さんと一緒に仕事が出来るのはめったにないことで、いつも一人で仕事しているもんからすると嬉しいことでした。
お孝さんと会うた時の、あんな局長の顔も見たことないですしね。

私と同じ時に面接を受けて新選組に入った武田さんが亡くなりました。最近の高台寺周辺での動きが不可解ではありましたし、実際に彼の行動の為に命を落とした者もいてる。しかし、局長がお許しになられたんです。若い隊士の勢いの上の事とはいえ残念なことになりました。
私はまた一人での仕事に戻ります。今度は近藤局長の指示ですが(私用ではありませんよ念のため)お孝さんの時のようにヘマはしません。山崎、今度はある男を探しに出かけてきます。
10月17日:第41回「観柳斎、転落」
とうとう伊東一派は出ていってしまいました、平助さんや斉藤先生も一緒に。御陵衛士と名前を変えても新選組にいた連中ですし、平助さんや斉藤先生が中にいることを局長や副長は常に気にかけておられる。彼らがいるのが東山の高台寺。祇園から東、坂を登ったあのあたりまでまた、ちょくちょく足を伸ばさなければいけません。
それから、近所やからというて『鳥居本』なんかで飲んだりして、揉め事が起こらんようにしてほしいんですけどね。私のちょっと知り合いがいる店なんで。
まあとにかく、あの辺にはこれから山崎出没しますよ。
今週の「すんません」お幸さんの妹さん、人違いやったんです。すんません、ではすまへんわな。とうとうお幸さんに妹さんを会わせることは出来ませんでした。
局長、お幸さん、すんませんでした!
今週の私の仕事は「探す」です。それが人間なのか物なのか、はたまた一部の皆さまがお探しになっておられる屯所内の豚ちゃんなのか、はここでは明かしません。楽しみにしておいてください。
10月10日:第40回「平助の旅立ち」
こないだのお幸さんの妹さんの探索は、あくまで仕事のついでです。ほんとうは・・・広島に行った時の伊東先生たちの動きを調べてたんです。(日記に書いてたでしょ、山崎は広島へ行くって)局長と途中から別れた伊東先生は厳島神社へ参詣するということやったんですが、実は様々な藩の周旋方と会うていたんです。分かっただけでも、備前、筑前、唐津。何故そんな行動をとったのか、なんだか臭いませんか?局長からは伊東先生の身辺の探索を続けるように指示されました。
そんな矢先、加納さんを連れて向かった所にいたのは岩倉友山!ここんとこ京都にいる尊攘派の公家たちとよしみを通じているとの報告があったんですよ。間違いなかったんや、こいつらは新選組の中で何をするつもりやろう。近藤局長に報告しなければ!野良仕事の格好のままですが。
『今週のごめんなさい』浅野薫の脱走。身内も身内、うちの監察方が逃げるとは、どうもすんませんでした。
伊東一派の動きに注目していてください、私は彼らから絶対に目を離しませんからね。 そして、お幸さんの妹さん探しも早くしないとあかんようなんです、ご病気があんまりおもわしくないようですから。バックナンバー
10月3日:第39回「将軍死す」
局長も新選組も大きな存在になったものです。大目付の永井様よりあんなお言葉をいただけるとは。近藤局長も興奮気味に話してくれました。ただ、出てきたのが小役人でしょ。もう幕府の存在がなめられてしまっているんですよね。広島で局長は非常に歯がゆかったと思います。私も悔しい。
そんな思いの中、京都に帰ってきてみると、やっぱり局長がいない間に悲しいことが起こってしまいました。河合さん・・・残念です。ちゃんと仕事して、仕事が好きで、もちろん新選組を愛する優秀な勘定方やったのに。
武田観柳斎に対する隊内の雰囲気も、そして介錯をしくじった谷三十郎の様子もおかしく、河合さんの切腹の影響は決して小さくないようです。
さて、私は局長に報告をしてきます。頼まれてたことがありますんで。
9月26日:第38回「ある隊士の切腹」
占い師に化けて寺田屋に目を付けていたのに、坂本龍馬に逃げられてしまった。残念です。私たちが間違って追いかけていたあの男、この頃寺田屋で下働きしてる男ですよ。どうも気になる、これからも京都のあちこちで出会いそうな・・・。
松本良順先生からは、刀傷の縫合だけやない、衛生面についても色々とご指導いただきました。病人は初期の段階から隔離するんやとか、へんな話ですが、豚を飼うようにもすすめられました。豚?と思うでしょ。これは残飯やとかを処理するため、つまり豚さんに食べてもらうっちゅう訳ですね。「沢山の人間が一緒に住むということは、それだけいろんな事に気を配らなければならないんだよ」とのこと、これからもいろんな事を教えていただけそうです。
私が他の仕事でばたばたしている間に、隊内では忠司さんのことで、事件が・・・。
間もなく私は、密かに広島へ向かいます。幕府の長州行きにお供される近藤局長、伊東先生、篠原さんら本隊とは別に、あくまで隠密にとのこと。
ここではまだ、その目的はあかせませんが。 それよりも心配なんですよ、局長の留守に何か起こらなければいいんですけど。
9月19日:第37回「薩長同盟締結!」
先日の祇園の火事、大事にならなくてよかったです。2004年ではどうなんかわかりませんが、四条の橋もそんなに大きいもんじゃなかったんですよ。鴨川にかかる数少ない他の橋もそんなに立派なもんじゃない、そこに沢山の人がいっぺんに押し寄せる、新選組・近藤局長の采配が無ければ・・・恐ろしいことです。
しかし捨助という男が原因とは。で、あの店の名前が“萬屋”か・・・なるほど、そういうことか。これは私が気づいたんじゃないんです、平助さんから教えてもらった話なんですが。
さてこの度、松本良順先生に初めてお会いいたします。私が鍼医の伜、医術の心得があるということで局長が紹介してくださるんでしょう。大阪の親父のところから、ある意味反発もあって飛び出したのに、新選組の中でそのことが役立つとは、人生不思議なもんです。
隊内の衛生状態も気になりますし、また会津藩から捕縛のお達しが出た坂本龍馬の動きも気になる。 山崎、忙しくなりそうです。
9月12日:第36回「対決見廻組!」
西本願寺の屯所は大きいですよ、それだけの人数が新選組にいるんですもの、凄いことです。
頼もしい。 しかし若い隊士達は私のことを知らないんちゃうかな。これだけの人数がいると、もちろん新選組の内部も探らなければいけない、へたに知られているよりも監察の仕事はしやすいですけどね。
いやそれか、ホントに覚えられにくい顔なんでしょう。土方先生にも言われたもんなぁ・・・。 屯所にいるよりも色々と外に出てる方が多い私。「はいっ!何でしょう?近藤局長からのお仕事ですか。喜んで!」ちょっと行ってきますね。
9月5日:第35回「さらば壬生村」
八木さんのお宅から引越しだそうです。何だかぼおーっと歩いてると壬生の方に足が向きそうですわ。土方先生、山南先生、井上先生に面接していただいた八木さんとこの中庭。向かいの前川さんとこの出窓で、山南先生とお別れをしました。
もちろん八木さんたちにはご迷惑を掛けることばかりだったでしょうが、思い出の多い壬生村でございました。
坊城通りを歩きながら思いました、明里さんとここを歩いたのは先月の二十三日。今日は三月十日、山南先生が亡くなられてまだニ週間余りなのに、何故かずっと昔の事のようです。
8月29日:第34回「寺田屋大騒動」
今私は、明里さんを御実家に送った帰り、丹波からの一人旅の途中です。
今回は辛い仕事でした、しかし山南先生と最後にお会いできたので、よかった・・・。よかったと言うのはおかしいですが、私の中でお別れを済ませたかったんですよね。
京都への道を一人で歩いていると、色んなことを考えます。山南先生のこと、先生と土方先生との関係、近藤局長の思い、そして私との道中ずっと黙っておられた明里さんのこと。
帰りの道は長くなりそうです。
8月22日:第33回「友の死」
山南先生が脱走されました。そんなことが起こるとは思いもよらなかったです。山南先生には、よっぽどお考えがあってのことなんでしょう。最近の先生の隊に対する思いが「脱走」につながっているんだと思うんです。
明里さんという女性とご一緒らしい、「やっぱり山南先生も男なんだ」という風に他の隊士たちが言ってるようには単純には考えられないんですよ。
先生を含め幹部の人たちの間でどういう話があったのか。監察の私にもそこはわかりません、申し訳ない。ただ、先生の新選組に対する何か特別な思いが、今回のことにつながっていってるんだと信じたい。
元治二年二月二十三日、新選組は隊始まって以来最も辛い日をむかえます。今回の私の仕事は・・・辛いです。
8月15日:第32回「山南脱走」
前回は画面に登場しなかった山崎です。あれはただ、局長たちの江戸行きにお供しなかっただけで、京都のほうでも結構忙しい毎日なんですよ。 ただ探索方は孤独な仕事ですわ。こないだ渋谷の八木邸(東京の渋谷に壬生そっくりなんがありまして)で、同じ探索方の浅野薫君に久しぶりに会いました。「第一回に二人で仕事したし、相棒なんかなぁと思ってたら、山崎さんと組まずに島田さんとばっかり仕事してましたよ〜」とのこと。なんと10ヶ月ぶりの再会でした!そんなもんなんですね。 孤独に仕事をする私、次回は皆さんのお目にかかれますやろか?
8月8日:第31回「江戸へ帰る」
こないだ孝庵先生の診療所の前で、爺さんに扮装した私、沖田さんとすれ違った時に体が触れたんです。いい匂いがしたでしょうって?いやいやそんな話やなくて・・・、沖田さんちょっと悪いですよ。うちの親父は鍼医でしょ、子どもの頃から横で見てましたけど、まず触れるんですよね患者さんに。もちろん見た目もあるけども、とりあえず肩やとか腰やとか、体を触ってました。そうするといろんなことが分かってくるらしいんです。あとで考えたら「手当て」という言葉があるぐらいですもんね。 沖田さんのあの咳とあの体の感じ、やっぱり労咳だそうです、あとで沖田さん本人から土方さんにお話になられました。うーん、心配ですわ。
心配といえば、土方さんと山南さん。私が新選組に入隊を希望したとき、面接していただいたんです。あの時はすごく認め合ってはるように思えたのですが、そのお二人がどうもうまくいかないようです。局長が江戸へ行かれている間に、なにも起こらなければいいのですが。
8月1日:第30回「永倉新八、反乱」
うーん、わかりませんよね。伏見の寺田屋に局長や土方さん沖田さんをお連れしたのに、あっさり帰りはったでしょう。沖田さんのお姉さんがどうとか言うてはりましたが・・・、どう見ても二階が怪しかったんやけどなあ。
で、寺田屋の前で土方さんに言われた一言「斬られたときに出る血と吐いたときに出る血ってのは、色は違うか」がずっと引っ掛かってるんです。 何故土方さんはあんなことを聞いてきはったんやろう。ひょっとして、沖田さんのことなんやろか?私はあの言葉を考えながら、探索方の仕事を今週も。
7月25日:第29話「長州を討て」
先週の池田屋での大立ち回り、凄い迫力でしたね。私はあまり参加しておりませんでした、作戦会議だけ。しかし池田屋で会合が開かれているともう少し早く掴めば、こちらの犠牲者も無くて済んだのかもしれません。力足らずで残念です。
後日、司馬遼太郎先生は小説の中で私をよく取り上げてくださり、池田屋でも大活躍するらしいんですが・・・、私の仕事や存在はやはり探索方、闇の中にしておいたほうがいいでしょう。どこで何をしてるのかわからないのが私、山崎ですから。 
池田屋以降、長州の動きが活発になってきました。天王山を本陣に本格的に戦をするとは。美しい京都の町も戦場となるのでしょうか。
私の仕事場もどんどん広がり、伏見の方まで足を伸ばしたりするんですよ。今怪しいと踏んでるのが、寺田屋という船宿。尊皇攘夷派を多く逗留させているんです。こんどの戦いでも、ひょっとしたら長州兵が?と睨んでるんです。我らが新選組の本隊は、伏見街道へ進みます。今度は私もお役に立てそうなんですが・・・。では次回「長州を討て」をお楽しみに!
7月18日:第28話「そして池田屋へ」
みなさん、桝屋の前で潜んでいた私に気が付かれました?ちょっと、あめ屋の着物を拝借しました。観柳斎さんとのアイコンタクトもバッチリ。ただ、ほんの一瞬の登場で申し訳ない、それが監察方という仕事ですねん。
えらい事が判りました、京の町に火をつけるという計画。その計画が実行される前に、やつらが集まっている場所を探さなければ!宿屋かお茶屋か船宿か・・・、この暑い中なんとか期日までにと京都の街中を走りまわっています。
次回はいよいよ
「そして池田屋へ」。ご期待ください!
7月11日・第27話「直前池田屋事件」
こないだの面接、皆さん見ていただいたでしょうか?やりました、入隊出来ました。三度目の正直って本当ですね、思い切って面接が三度目ってことを話してよかったですわ。
そして早速土方先生からお仕事をいただきました。大阪町奉行所の内山彦次郎の探索。
迅速に先生にご報告出来たと思います。新選組に入った嬉しさで、調べることは苦労でも何でもなかったです。
ただ、近藤局長の前で土方先生と報告させていただいたんですけど、緊張しましたわー。何か借りてきた猫みたいでしたね、かちこちになってました。これからもどんどん働きますよ!
さて、今は次の仕事にかかってます。ずっと潜んでいますねん、ある店の周りに。その店の名前は今は言えませんが、場所は四条小橋周辺。でも、あなたとひょっとすれ違っても私だとは分からないと思いますよ・・・。
第27話「直前池田屋事件」をお楽しみに、次回だけ放送時間が変わりますから、お気をつけください!
7月4日・第26話「山崎が再登場!」
いよいよ山崎烝の新選組入隊面接が行われます。受かるかなぁ。なにしろ、あの強烈な個性の武田観柳斎さんと同じ面接日なんで、どうやって私を売り込むか思案中ですねん。観柳斎さんは軍学てなものをやってはったんですて、またお喋りも上手やったしおそらく受かるやろうなぁ。
私は大阪・高麗橋、後に「赤壁」と呼ばれる鍼医者の息子です、でも家は兄さんが継いでくれはるし、私は自分で何かやってみたいんです。それで京都の新選組の話を聞いて・・・。これという特技はないんですけど、入隊したいんです新選組に。あの凄い先生たちの中で、私にもやれることがあると思うんですけどね。この思いが面接の先生方に伝えるといいんですが。
とにかく、また壬生の八木邸に行ってきます。え?またってどういうことやって?ここだけの話ですよ、今日で私、面接受けるの三回目なんです。
平成16年1月11日(日)よりNHK大河ドラマ「新選組!」に出演決定!
私、吉弥が2002年3月に参加した吹田メイシアターのプロデュース公演「近道心中(わかぎえふ作・演出)」を三谷幸喜さんが見てくれたことがきっかけらしいんです。新選組の中でも大阪の船場生まれという山崎烝役だから大阪の噺家にやらせるという単純なものではないと思いますが、話を戴いた時には飛び上がって喜びました。大河ドラマに出演できること、そして何より大好きな三谷さんの作品に参加できることの嬉しさをかみしめています。吉弥頑張ります!





ホーム | プロフィール | だいたい毎日日記 | 吉弥スポーツ | 京都をすすむくん